当山は、日蓮門徒帝都弘通・京都開教の祖であり、日蓮聖人の孫弟子・日像上人の直弟子である大覚大僧正妙実上人(1297~1364、一説には皇室の生まれともいわれる)が、野山(現・吉備中央町)妙本寺を拠点に備前・備中・備後を布教されていた頃、当所松山(現・備中高梁)米山難波4代目新左衛門夫妻が、大覚大僧正の法門・教えに深く感銘され、法華経に帰依し、延文3年(1358)、この地に大覚大僧正を開山と仰ぎ草庵を設け、当地松山唯一の法華道場となったのが始まりです。
後に「素南山 巨福寺」の山号寺号を賜り、文禄4年(1595)、中興開山第11世写経院日源上人は日蓮宗の宗風宣揚並びに当山の教線拡大に尽力され、元和3年(1617)、池田備中守長幸公により巨福寺本堂を建立、また北房中津井に妙源寺を開創され、巨福寺末寺とされました。
爾来法燈連綿と受け継がれ、第18世高巌院日康上人の代、享保15年(1730)頃に本堂を再建立し三十番神を勧請され、後に街中の大火により焼失するも、第22世心具院日英上人・第23世即妙院日格上人の代(1778年頃)には本堂を再々建立し、現在の巨福寺堂塔伽藍の礎を築かれました。
第33世真如院日映上人は備中高松稲荷より最上尊を勧請され巨福寺鎮守とし、明治29年、第35世智朗院日観上人代に現在の最上尊・三十番神本殿が建立されました。他にも寺名でもある巨大な福が訪れる様、鬼子母尊神さま(楢林鬼子母神)・大黒天神さま・妙見菩薩さま・清正公さまなど様々な守護神さまも祀られております。
当山の庫裡客殿は、平成13年、第38世本然院日脩上人代に改築され、その前には江戸初期に造られた枯山水小庭園(作者不明)があり、三尊石組による枯滝、護岸の石列美、宝来石の庭園心臓部など観賞的に造られていて、地方稀にみる隠れ小庭園です。
また、巨福寺は備中高梁の地において、650年以上の永きに亘り法燈連綿と受け継がれ、令和3年現在、法燈伝承39代目を数えております。